sakuma51’s blog

川崎市からみんなに役立つ情報発信をします。

成田氏からの11月17日付メール その1

最近聞いた講演で、とても感動したお話をお送りします。講演者は京都産業大学総合生命科学部教授・京都大学名誉教授で歌人でもある永田和宏さんです。演題は「ことばの力―科学と文学のあいだ」。大阪大学未来トーク19(2015年)に行われた講演です。 「大学のおける教育の在り方」や「現代学生の現象学」、「なぜ学問をするのか、なぜ本を読むのか」など人生漫談風にお話しされていますが、とても心に刺さります。また、歌人として奥様との間の相聞歌や奥様や恩師との永遠の別れに、言葉が如何に無力であるかもお話しされています。理科系の先生で歌を詠む方は珍しいですね。彼の悩みは、研究者と歌人という二足のわらじを履いてここまで生きてきたこと。大変だったが、それで良かったと仰っています。このような先生に巡り会えた学生は幸せです。 (2016) 大阪大学未来トーク 19 「ことばの力―科学と文学のあいだ」永田和宏 (2015.6.15) - YouTube 今年8/24に亡くなった稲盛和夫さん(京セラ、KDDI創業者、日本航空名誉会長)のお話です。このような経営者は、今はもう少なくなりました。お金さえ儲かれば良いという経営者ばかりです。稲盛さんの「秘伝の教え」とは、「社員を大切にし、そして人を思いやる『こころ』を持って働くこと」です。考えてみれば、これが昔からの日本流の経営でした。殆どの企業が欧米流の経営にシフトして、日本はすっかりおかしくなってしまいました。もう一度、日本を取り戻すために、稲盛さんの生き様を見倣うべきだと思います。 ~~~~ 【JAL会長に就任した稲盛和夫裏目的】 2013年3月19日。稲盛和夫氏がJAL会長を退任した日。 それは同時に、経営者としての「最後の日」を意味していた。 東京都品川区、天王洲アイルに集まった100名の報道陣を前に、、、 稲盛氏は「ラストメッセージ」を送った・・・ 一切給料も受け取らず、京セラでの仕事を並行して進めながら、そして、元々大っ嫌いだったJALを救ったのは、まさにこの「ラストメッセージ」を日本中に伝えるためだった。 しかし、それはほとんどの日本人に届くことはなかった・・・ 「血を吐くような思いで話すので聞いてほしい・・・」 ■風邪をひいている時も、、、 ■体調が万全ではない時も、、、 78歳の身体に鞭を打って決して休むことなく、JAL再建に向け全力を尽くした稲盛和夫氏。 彼がJALに残したのは、たった一つ、、、 京セラ時代から最も大事にしていた「秘伝の教え」それだけだった。 2年と10ヶ月もの間JAL社員一人一人と向き合いこの「秘伝の教え」を説いた。 この秘伝の教えの正体こそ、、、 「社員を大切にし、そして人を思いやる『こころ』を持って働くこと」だった。 この「秘伝の教え」が、紛れもなく、腐りきったJALを劇的に変える大きな力となったのだ。 事実、JALの幹部はこのように言っている。 「稲盛さんの教えが職員に共有されたからこそ、JALは強固な会社になれた。心から感謝しています。」 そして、CAやカウンターの職員までもこのように明かしています。 「稲盛さんの教えが書いてある手帳をいつも持っています。 この教えを学んだことでお客さんにも喜んでもらえて、仕事が楽しくなっています。」と、、、 JAL職員たちがこのように考えられるようになったのは、稲盛和夫氏が会長就任当初から一貫してその教えを体現し、引っ張り続けていたからだ。 実際に、、、会長に着任した翌日のこと。 彼は羽田空港の職場を訪れ、JAL職員一人一人にこう声をかけていたと言う。 「ご苦労様です。会長になった稲盛です。大変だとは思いますが、私も頑張りますので皆さんも頑張ってください。」と、、、 78歳という高齢で激務をこなし続けていたにもかかわらず、皆の前では全く疲れた顔を見せなかった。 「JALの仲間たちのために、、、」「日本の未来のために」全力でひたむきに戦っていた。 そんな彼の思いは、少しずつJAL全体に伝播していった。 そしてそれこそが、JAL復活のために必要不可欠な「最後のピース」だったのだ。 そんな稲盛氏だが、、、実は、JAL就任前、稲盛氏はこう言っていた。「JALが大っ嫌いだ」と、、、 しかも、一度JAL再建の誘いをキッパリと断っていたのだ。 では、一体なぜ稲盛氏は最終的に会長への就任を受け入れたのか・・・? 稲盛氏は、経営者としての最後の日に、その「真の理由」を打ち明けた・・・ この時、打ち明けられることになった、全日本人に向けての「ラストメッセージ」とは一体何だったのか・・・? 続きは以下のURLから確認してみて下さい。 >稲盛氏の「ラストメッセージ」とは? この本は50代の人だけでなく、全ての世代の人が知っておくべきことが書いてあります。「会社人生」はいつかは終わるからです。 (2016) 【ベストセラー】「50歳からは、「これ」しかやらない 1万人に聞いてわかった「会社人生」の上手な終わらせ方」を世界一わかりやすく要約してみた【本要約】 - YouTube 以上、成田

成田透氏のプロフィール
日本アイ・ビー・エム(株)に30年勤務。システムズ・エンジニア(SE)として、金融機関(都銀・長信銀)を担当。退職時は金融システム・ソリューション部長。
退職後はIBM関連会社の役員を歴任。最後は(株)エムティーアイで常務取締役ITセンター長。
数々の大規模システムの構築や大規模プロジェクトを成功裏に実施した。現在72歳。